OT技法は、もう死語⁉️なんだろうか......学生と話していて、思う。
皆さん、CL文脈に合わせ様々な目的・能力に応じadapt•gradingするOT技法(ADL.IADL除)の引出しを幾つ持ってますか?
①陶芸
②籐細工-織物系クラフト
③モザイク系クラフト
④書き描き塗り系アート
⑤組み立て-分解系クラフト
⑥たたき系クラフト
⑦各種針使用系クラフト
⑧各系混合系
回復-習得モデルにも、準備介入にも活かし、作業適応を進めることができるが、今は求められないクラフト系のadapt•gradingOT技法。
ADLの介入技法でもあるプロンプト、フェイデングなども含むadapt•gradingOT技法。
自助具-スプリントの作成にて進められるadapt•gradingOT技法。
間接的に、ADL訓練を、そしてADL訓練への適応を、サポートするクラフト系のOT技法❗️OTの醍醐味なんだけどな。.....
私は、間違っている、.......のかな。
質より量か...量より質か…、管理-指導者がいれば質より量でも、その後の質の向上が担保されるが...。今のカリキュラムが本当に現代の青年を作業療法士に養成する為のものとなっているのか?多くの養成校の実習生を見ていて強く感じる。作業の力に触れ、学び、考え、実践する事は殆ど無い印象です。
OTは,目の前の人にそりそい、理論、知識を背景に個別文脈の中で作業を理解し環境への結びつきを支援する臨床実践.文脈から課題共有し、その行為を様々視点で観察.分析.理解し、文脈.課題.理解を背景に作業を操作し理論を背景に人.作業.環境の結びつきを取り戻す.OT実践を目指す学びを続けるには強い意志が必要………
そんな中......
学生指導,スタッフ指導,学生の授業の内容-カリキュラム,周囲のOT臨床,厚労省の目線-評価......を思うに,このまま自身の信じるOTを続け指導していいのか.悩んでしまう❗️
....実習での実践の学びの機会(到達レベル⬇︎)も卒後現場での学びの時間(労基指導)も,現場でのOT臨床家への学びを閉ざすものになっているようで、また、管理者も目を背けたくなる。したがって、回復モデル、習得モデル、代償モデル、各モデルにおけるコンサルテーション、そして教育モデルの40年の学びを「作業」に集約させた実践の学びを現場で伝えることは、求められていない......と、そして、それを受け入れる土壌づくりが養成校で課されていない.......そんな思いがしてくる。
OT介入の基本!様々な目的でクラフトを介入に用いる。
クラフトのもともとの意味は……………「技術」で、その後、技の巧みさから生み出される手工芸品、あるいは工芸や民芸といったものを指すようになった。西洋では、近代の産業革命以降、機械による大量の製品が生産されたもののその品質は粗悪で、雑なものであった。そこで、伝統の技を身につけた人の手によって生み出される、良質の工芸品が見直されるようになった。ウィリアム・モリスを中心とするアーツ・アンド・クラフツ運動は、この時期に起こったもので、日常生活で用いられる調度品などに、手仕事のよさを活かした様々な手工芸品が提供されるようになった。(weblo辞書より)
自身の介入では、一般生活行為-家事−職業プログラムのない場合に、必ず入れているクラフト。クラフトを回復-習得モデルの一環として用いる技量は、そう簡単には身につかない。10側面を理解し、モチベーションの源を理解し、作業の力を理解し、分析し、アダプテーション、グレーディング、ADL介入技法を身につける日々の研鑽が必要。何よりも、あらゆる作業に興味と関心を!
ある教員が、「基礎作業学は、何してるか知りません」だって.....がっくり。
心と身体、様々な側面、機能 能力 技能の統合であり、人となりの表現でもある作業、具体的目標にもなり、新たな人生の構築をも促すことができる作業を操れ、様々に治療 介入の用いる作業療法士を目指して.......今も研鑽中‼️。CLごとに、課題ごとに、作業の幅は広がり、引き出し………アダプテーション、グレーディングなどなど、広がるバリエーション。35年間!ブレずにOT実践-臨床。古いOTですが、新しくもみられている❓。ある意味、アーツ アンド クラフツ運動?????のようなOT?。
OTだからこそ………の、繋ぐ意識の大切さ
ライリーは、全米OT協会の講演で……………
「病院環境は、その環境にもかかわらずではなく、その環境ゆえに、患者の日常生活技能を改善できる場でなければならず、そうあるべきこと、また、同じ概念の発展的延長上に家庭や職場や学校があることを、我々はまず認識すべきである。」と、述べている。
その実践のために2つの繋がる、OTパスを作成した。このパスを通じてOJTが、進むことを願って!
OTとして輝いていた時.......3
そして....そんなOTに没頭できるのは.入職3年までか?.3年間は.時間を惜しんで学び.CLの事を考え.悩み.行動しよう。病院でもCLの事だけを考えられる時間は限られてくる。別の役割使命が加わるまでが臨床OT学びの全て‼️3年を過ぎれば、privateでも職場でも他に考える事が年々増しCLに時間が注げない。
振り返って、輝いていた3年間❗️私の宝物。そんな3年間を過ごせる環境を、今の私は、今のスタッフに提供できているか・・・・・・・💦
.......... 2
当時、市営住宅1階を身障住宅とするマイハウス?だったかな?の制度活用を姪っ子さんと市に打診。入居までのプロセスを支援。日常は車椅子であり、エレベーション機能、座面.クッション.背貼り.ベッドの工夫(当時、ベッドは.パイプベッド-車椅子は基本的に標準車椅子か、身障手帳オーダーメイド)。
CL.障害に合わせて、環境..寸法、設備提案。外出。姪っ子さんの協力のもと外出、外泊。姪っ子さんとの関係作り。市職員との連携。まだ訪問リハビリのない時代。退院後の生活フォロー....電話、遊びに行ってお茶を呼ばれて、近所付き合い-相互の安心-家事継続の確認。
なくなる寸前まで過ごされ、最後は、以前から治療中の心疾患で、自身で一人暮らしの方の緊急連絡ボタンを使用し入院し.最後を迎えた。約2~3年間の関わり。ひとりのCLから、今につながる多くを学ぶ機会が得られる。そのようなCLとの関わりを通した学びを積み上げることを、大切にしましょう。そして...
OTとして、輝いていた時........1
あなたが、OTとして、一番輝いていた時は・いつですか。私は、入職2~3年の頃かな。シャルコー関節と診断され、Opeを受けるも......あげくに大体骨幹部で骨折、またまたopeを受けるも偽関節化した状態で、痛みと共に転院してこられた一人暮らしの矍鑠としたご婦人との障害者住宅入居までの関わり。
昭和60年前後の話........私のOT原点。
同期PTと相談し.まず再び歩行獲得に向け、右骨盤帯付きLLB-大腿部functional braceにし.免荷装具加え.高齢のご婦人でも自己装着できる工夫-練習(義肢装具学会発表)そして痛みや医療不信.不安.自身の喪失.閉じこもりに対しTonic OT(AKA全盛時そんな呼び方も大阪ではしてました)とself care…….ADLと共にTonicOT..本来.前向きなCL。興味関心を刺激した.さくらほりきり(医療機関にOTとして、初めて導入した?と自負....どうでもいいか?)を通じて主体的生活を回復。世話になった方々へ感謝.最後は.職人化。そして油絵.陶芸チャレンジ....痛み.不安との共存。そして一人暮らしへの思いを支援。